@しちみ
12/01(月) 22:37 IP:220.254.0.4 削除依頼 - 中高一貫校で高校内容学習している中3です。
「高校生のみ」と書いてありますが、高校内容なので 投稿させていただきました。 もし場違いな様でしたら削除します。
古典の「土佐日記」の「帰京」の部分で わからないとことが出てきたので 教えていただきたいです。
1>> 本文「家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。」 訳「家を預けた人の心もすさんでしまったのだなあ。」
となりますが、 なぜ訳では「家を」なのに、本文は「家に」となっているんでしょうか?
2>> 本文「とまれかうまれ、とく破りてむ。」 訳「とにかく、早く確かに破り捨ててしまおう。」 なぜ作者(貫之?)はこのように思ったんでしょうか?
どちらでもわかる方、どうか教えてください;
NO.1 まっぴー
12/02(火) 00:33 IP:219.109.88.197 削除依頼 - 1つめ。
ふつうは「家を預けた人」としますが、 「家に預けた人」とすることで、 「家」=「主」、「人」=「従」であるかのように表現して、 家を荒らしてしまった人への皮肉が込めたから。
2つめ。
娘との別れの悲しみを忘れたいから。
あんま自信ありません(´・ω・`)
NO.2 @しちみ
12/02(火) 07:55 IP:59.135.38.185 削除依頼 - 携帯からです*
まっぴーさんありがとうございます! 一つ目がよくわかりません(´・ω・`) すいません;
NO.3 まっぴー
12/02(火) 12:46 IP:219.109.88.197 削除依頼 - 質問をかんちがいしていました(´・ω・`)
本文が「家に」なので、訳も「家に」の方がいいと思います。 訳を「家を」にしてしまうと、筆者の皮肉が伝わらないと思いますo(^-^)o
NO.4 @しちみ
12/02(火) 21:44 IP:59.135.38.190 削除依頼 - 携帯からです。
まっぴーさん度々ありがとうございます。 では、人 っていうのは 家の主の貫之ということですか??
NO.5 まっぴー
12/02(火) 22:51 IP:219.109.88.197 削除依頼 - 土佐日記では貫之は主人の妻という設定ですよね。
京都に住んでいた家の主人とその妻(=貫之)は 土佐に行くために家を空けることになります。
そこで、いつか帰ってくるときまで、 京都の家を他人に任せることになります。
その他人が「人」ですo(^-^)o
NO.6 @しちみ
12/02(火) 23:41 IP:59.135.38.182 削除依頼 - 貫之はきちんと登場しますし
妻も妻で登場します。 紀貫之は自身の日記を客観的に女性という立場になりきって 書いているのでは?
それに人=他人だとしたら 家に、となるのはおかしくないでしょうか?
生意気ですいません↓
NO.7 おじさん
12/04(木) 00:50 IP:220.147.166.15 削除依頼 - まっとうな疑問です。質問とはこうでなくては。
まずは1つめ。 通説はこの箇所を、「費用まで支払って預けておいた家は、こうまでも荒らされてしまったとはいえ、何とか無事残った。一方で、預かった人の誠意は見るかげもなく失われてしまった。(普通は預けられた主体が預けられた客体を荒らしてしまうものだから)これでは人に家を預けたというよりも、むしろ家に人を預けたみたいなものではないか」という意図がこめられている、と解釈するようですね。 こういう長い語句を補う必要のある皮肉を訳出することにさほど意味もないので、事実関係だけを「家を」と訳したのでしょう。
なお、おじさんはこの解釈にあまり釈然とするものを感じませんが、他の解釈も思い当たらないので正直なところ困っています。 ここを素直に読めば「家に」とあるのは意味が通りませんから、少なくとも他に以下のような考え方があるはずです。
1.「家を」とあるべきところを書き間違えた(本文の誤り) 2.平安時代には、「家に預く」が「家を預ける」の意味で使われた(ヲ格とニ格の交代)
実際のところ、学説にはこれらを支持するものもありますが、
1・・・紀貫之はどうやら「家に」と書いていたらしい(土佐日記は、平安時代の末ごろまで紀貫之の自筆本が残っていたらしく、そこから直接転写したという写本が何種類か伝存しているが、それらを比較校合をした結果、紀貫之自筆本文の原態がほぼ確定している)ので、間違いとして解釈することは慎むべきである
2・・・他にそのような用例がない
と批判されています。
NO.8 おじさん
12/04(木) 01:06 IP:220.147.166.15 削除依頼 - 2つめ。
「娘との別れの悲しみを忘れたい」というのもあるでしょうが、もっとも端的に言えば、作品を終わらせるためでしょう。 「さっさと破り捨ててしまおう」といいながら、貫之がそんな意志を毛頭持っていなかったことは、作品が現存していることから明らかです。 考えてみれば、冒頭から貫之は性別・立場を偽っており、しかもその直後に「いささかに」のような漢文訓読語(=男性語)を用いることですぐウソだとばれるように仕組んであります。土佐日記は、常にふざけた記述をしている可能性を割り引いて読まなければならない作品なのです。 したがって、末尾の一文は、書くべきことを書いてしまった筆者が、つらさを忘れるためにももう破り捨ててしまう、というふりをすることによってうまく作品を閉じることができた、テクニカルな一文だと見るのが適切だと思います。
NO.9 yui
12/06(土) 00:10 IP:124.255.173.142 削除依頼 - 「家に」を「家を」と訳すのって、助動詞「に」の文法的意味の問題じゃないんでしょうか?
NO.10 おじさん
12/06(土) 00:41 IP:121.94.95.55 削除依頼 - 格助詞「に」には「を」と訳すべき用法(=文法的意味)はありませんので、そういうことではありません。
NO.11 @しちみ
12/07(日) 13:25 IP:220.254.0.4 削除依頼 - ありがとうございます!
どちらも、正確に答えがあるって訳では ないんですね(´・ω・`)
NO.12 私(魔界創立者)
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01/12(月) 16:06 IP:114.144.40.55 削除依頼 - 土佐女子高校の成績を上げる会を設ける、
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