ふみコミュ!
  • サイト内
    Web
  • 検索
フミコミュ!でもっと遊ぶ!
掲示板テーマ一覧はこちら
[ページの下へ] [ページを更新] [もどる(投稿後)] [もどる]
日本史 明治タイトルNO.42628
     12/25(木) 21:19 IP:210.136.161.108 削除依頼
ちょっと分からない所があるので、もし分かる方いたら教えてください!
すごく基本的なことかもしれません(*_*;

(1)地租改正に関連したものです。
地租改正で納税方法って現物納から金納になったんですよね?
「地租改正にともなって、地主に納める小作料は金納に改められた」
この文は「金納」が「現物納」の間違いみたいなのですが、なぜか教えてください。

(2)岩倉使節団に関連して述べた文として誤っているものを選べ、という問題なのですが、
「使節団が派遣されてるあいだに、廃藩置県・徴兵制・地租改正などの重要な政策が次々と実施された。」
岩倉使節団って1871-1873の間に派遣されたんですよね?
廃藩置県(1871)・徴兵制(1873)・地租改正(1873)とどれもその期間内なのでは?

詳しく教えてもらえるとありがたいです(^-^)

NO.1 う〜 12/26(金) 02:13 IP:222.151.38.66 削除依頼
(1)
「耕作者」ではなく、地券の発行によって確認された「土地所有者」という存在に政府は税をかけているのです。そして土地所有者が税を現物ではなく金で収めることが義務とされたのです。代わりに、土地所有者は一定程度税を納めているということにより参政権を得る、という理屈なのです。つまり政府ー地主関係が規律されたのです。
ですので、地主ー小作人関係は地租改正法という法が規律の対象としたものではありません。それまでどおりの現物負担、寧ろ地租改正にあわせて小作料を改めたために負担は増大しました。

(2)
岩倉使節団は、明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで

・廃藩置県(はいはんちけん)は明治4年7月14日(1871年8月29日)

なので廃藩置県のほうが同じ年度内で先のようです。
しかしこれ、ここまで詳しく覚えることに果たして意味があるのか、という気もいたします。
個人的には、版籍奉還が不十分→御親兵を集めて廃藩置県→地租改正という流れさえ分かっていれば十分だと思うのですが。

NO.2 う〜 12/26(金) 03:08 IP:222.151.38.66 削除依頼
以下では地租改正について詳述します。

まず、土地と人間の関係にまつわる制度を眺めます。
1871年7月、人々の自由な移動が許されるようになります。9月、と田畑勝手作の禁が解かれます。さらに、1872年2月、土地永代売買が解禁されます。この過程は、人間が土地に縛り付けられるのではなく、人間が土地を自らの所有物として支配するようになる過程として捉えることができます。
こうした構想の背後には、1870年に神田孝平が提出した「田租改革建議」があります。土地売買を解禁し、売買額を地価として地券に記載し、地価に応じた課税をしようというものです。これは廃藩置県前だったので、急進的過ぎましたが、政府関係者らには画期的なものにうつったのでした。
さて、廃藩置県も済んだ1872年2月、いわゆる壬申地券が発行され始めます。この地券には地租額が記載されていなかったので、「貴方の土地ですよ」という、権利保障的な側面だけが見えやすく、好意的に受け止められました。しかし、売買地価だったことが問題でした。
というのも、貢租に地域差があるために、同じ収穫量の土地でも売買地価に差が出るのです。
こうした不合理を配するためには、収益力によって地価を定めることになります。6月から収益地価方式の地租改正法の作成に当たります。

続きます。

NO.3 う〜 12/26(金) 03:22 IP:222.151.38.66 削除依頼
この頃、減租を求める農民闘争が激化していました。
しかし、条約改正高尚に失敗したために、関税収入によって財政を立て直す道が立たれてしまったのです。こうして、寛大な税にするという当初の構想が不可能になりました。

さて、このような状況の下に決定された地租改正の基本内容は、ご存知の通りです。
@土地調査に基づき地券を交付する
A算定地価の3/100を地租とする。
B地租は金納とする
C将来、物品税の増加によって地租を1% に減額する(後にこの公約は破棄)

さて、この「算定」というのが最大の争点です。
というのも、旧来の歳入を減じないのを目的と政府はしていたからです。
こうして、各地方での算定は、中央の地租改正事務局が決めた目的額を下回ることは許されませんでした。
「算定」という言葉を聞くと、現実にそれぞれの土地を調査して、その後に平均反収を決定するというのを想定されると思います。しかし実態は逆で、先に平均反収を決め、それぞれの土地の額を決めるという方式です。
このような方法を「押付反米」と呼びます。
このため、地租改正反対闘争は村単位の惣百姓一揆の形態をとるものが基本でした。こうした押し付けへの反感は、地主層の参政権要求(=国会開設、自由民権運動)につながりました。
最初のレスで地租改正と参政権の関係を示唆したのはこういう文脈です。

NO.4 う〜 12/26(金) 03:40 IP:222.151.38.66 削除依頼
地租改正の影響についてです。

長期的な視野から見ると、地租改正が法的・経済的に地主ー小作関係の拡大と地主の地位の強化をもたらしたことは明らかです。

・法的側面
 質地慣行や永小作慣行も、通常の地主ー小作関係と同様に扱われてしまいました。このために、商人や高利貸などだった人が、土地を担保に金を貸していたのに、そのまま地主に転化してしまったのです。

・経済
 @高率地租のために不作時に大量の没落農民となります
 A突然の金納化のために米の売買市場が未発達(適正な取引ができない)地域では、商人が買い叩き、没落農民化します。
 B誰が所有しているわけでもない地域=入会地が官有になります。入会地というのは、何らかの事情で一時的に貧しい農民を救う機能を果たしていました。それが奪われてしまったことは大打撃でした。

 →こうして没落した農民は、まだ資本主義が未発達だったためにイギリスのような労働者になることはできず、小作人になっていったのです。

以下、与太話になります。聞き流してください。
地租改正の意義については、これが近代的所有権を確立させることになったという見方と、そうではないとする見解の両方があるようです。
私としては、田畑永代売買の禁が解かれたというのは、法的には、人間と土地の関係の根本が基礎付けられたととは思いますが、押付反米に見られるような地価評価なので、市場にあわせた正当な評価をされていない、不十分なものだったと考えています。

NO.5 う〜 12/26(金) 03:56 IP:222.151.38.66 削除依頼
ぐだぐだ書きましたが、
要するに地租改正で寄生地主制が拡大した、と言うので終了でいいですね。何やってたんだろ、私。

NO.6 12/26(金) 19:24 IP:210.153.84.108 削除依頼
遅くなってごめんなさい!
細かく教えて頂いてありがとうございました(*^_^*)
深く知られていてすごいですね(^^)!
尊敬です。

もやもやも消えたので、また勉強に励みたいと思います!

このタイトルには現在6件の投稿があります。最大500件まで投稿できます。
[ページの上へ] [ページを更新] [もどる(投稿後)] [もどる]
新着投稿画像
    • #
    • #
    • #
    • #
    • #
    • #


下のボタンを押すとこのページの記事を新掲示板にコピーして返信することができます
新掲示板も試してみてね♪→新掲示板の「勉強教えて!(高校生)」はこちら

タイトルを作った方はタイトル自体、もしくは返事を削除できます。(タイトル作成者のみです)
●タイトル自体を削除する場合はこちら
パスワード  
●お返事を削除する場合はこちら
NO パスワード
会社概要プライバシーポリシー広告掲載・媒体資料のお問い合わせお問い合わせ(ユーザーサポート)旧掲示板スレッド一覧
当サイトに掲載されている画像、文章等の無断転用・無断掲載はお断りします。
copyright (c) ふみコミュニケーションズ